たらい回しで目が回る
先日実際にあった、笑えない話。
私がケアマネジャーとしてあるご家庭に訪問した時の事。そのご家庭は娘様が1人で親御様の介護をなさっています。親御様は要介護状態で、1人では暮らせません。そんな中、娘様からこんな質問が出ました。
娘様「もし私がコロナに感染して入院してしまうことになったら、親はどうしたらいいでしょうか?」
もし娘様が陽性であったとしたら少なくとも親御様は濃厚接触者となります。そのため潜伏期間の2週間が過ぎるまでは、十分な感染対策をして介護しなければなりません。
でも一体誰が介護するの…?
ハッと気づいた私は、考え込んでしまいました。・・・やってくれる人いるのかな?
そこで私は普段関わっている、訪問介護事業者に片っ端から対応可能かどうか聞いてみました。
結果…全部無理
その後、介護施設か病院で預かってもらえれば良いと考え、あちこちの短期入所施設と病院に聞きました。
結果…全部無理
そこで県のコロナ対策窓口に電話。
私「濃厚接触者の要介護者を2週間だけ避難保護させてくれるベッドを県では確保していませんか?」
答え…「確保していません。」
私「じゃあどうしたらいいでしょうか?」
答え…「地元の保健所に相談してください。」
そして私は地元の保健所に電話をしました。
私「受け入れてくれる施設はありませんか?」
答え…「ありません」
私「ではこの場合どうしたら良いのでしょうか?」
答え…「担当のケアマネジャーに対応できるサービスを探してもらってください。」
私「・・・えーっと、私がケアマネです・・・」
と言う訳で、こうなったら自力で探すしかないと思い、地元の民宿やペンションに手当たり次第に相談。
私「万が一の時そちらの施設で預かっていただけないでしょうか?」
答え…「保健所からの指導で、部屋に風呂とトイレがついていないとダメと言われているからうちでは受け入れできません。」
と言う事は、風呂とトイレ付きであれば保健所から宿泊可能とお墨付きを貰っている施設が地元にもあるかもしれないと思い、地元の役場に相談。
私「この地域で保健所から緊急事態に宿泊可能な施設として認められている施設を教えてください。」
答え…「把握していないので、保健所と相談してみます。」
私「・・・また保健所に逆戻り・・・」
と言うわけで、結局どこの行政機関にも解決策を示してもらえず、私と娘様は智恵を絞ってひたすら考え続けたのでした。
結局2人で考え抜いた唯一の解決策は・・・ナント
「本人も具合悪くなって入院するしかない!」
・・・何ともお粗末な結論でございました。
しかし、たらい回しって、毎回最初から説明する方はヘトヘトになりますね。
人間の気力と時間を奪う縦割り行政の”たらい回し攻撃”!!恐るべし
ネットスーパーで買い物をして配送料を600円払う位なら、買い物ボランティアさんに500円払ったほうがいいに決まってるでしょ!って話
皆さん知っていましたか?
ネットスーパーで食料品を買うと、購入者は1回平均600円の配送コストを支払ってるって。
受注、ピッキング、箱詰め、配達など、すごい手間と人手がかかってますからね。たまに配送料0円なんてありますが、そういうのは商品の料金に上乗せされてるだけ。だから支払っていることには変わりありません。
ネットスーパーというのは、結局は「あなたの買い物を引き受けます」というサービス。ウエブサイト経由で受注する事により、電話オペレーターを置かずに大量受注できるようにしていますが、受注した後は、いたってアナログ。お店のスタッフが受注した商品リストを見ながら、お店の陳列棚から商品を取ってきて(ピッキング)、箱詰めして、配送トラックに積み込み、配送係のスタッフが各家庭に運ぶのです。
そう考えると、皆さんが普段している「買い物」って、ネットスーパーのスタッフの仕事と同じなんですよ。そしてそれはお金に換算すると600円分の価値があるってことなのです。
では、ここで質問です。
もしあなたが買い物に行けなくて困っている時、近所のボランティアに電話で買い物を頼んで、品物を家に届けてくれたら品物の代金と600円を支払うというような仕組みがあったら、ネットスーパーより便利だと思いませんか?
便利ですよね~。だって手軽ですもん。
いつものスーパーだからどんな商品か分かってるし、電話で注文すればいいし、買ったらすぐ届けてくれるし、お金も立て替えておいてくれるし。
それに、どうせ600円払うなら、業者に払うより、自分の為に買って来てくれた近所の方にお礼として払ったほうが気持ちがいいし、その後も仲良くなれますからね。
この仕組みが「えんじょるの」なのです。
「えんじょるの」の場合ボランティアなので、お礼は600円より安い500円としていますが、コンセプトはこの通り。
巨大企業が莫大な資金を費やして構築したネットスーパーとは違い、「えんじょるの」は、個人の私がなけなしの資金だけで作った、「買い物に困っている人」と「ついでに買い物をしてきてくれる地域のボランティア」をマッチングするだけのシンプルなシステム。
それでもネットスーパーにはないメリットが満載です!特許も取ってるんですから。
地域づくりに興味がある皆さ~ん。皆さんの地域でも使ってみませんか~?日本中どこでも使えますよ~!(^^)!
しかもタダですよ~
願いを叶える方法
「えんじょるのを、なんとしても実現させたい!その為には今何をしたらいいのだろうか。」
ちょうど2年前の9月頃、私は毎日こんなことばかり考えていました。
でも決してやることがなくて暇だった訳ではありません。むしろ、プロモーション用の歌を作ったり、説明用アニメを作ったり、募集チラシを作ったり、システム設計したり、特許明細書作ったり、運用試験の準備をしたりと、全てを一人でやっていた私は、一秒たりとも暇な時間はないくらい目まぐるしく動いていたのです。
それでも、常にアドレナリン全開だった私は、
「まだほかにも何か出来ることがあるはずだ!」
「もっともっと何かをやらなくては!」
そんな飢えた野獣のように「えんじょるのを実現させる」ためにできることを毎日探し回っていたのです。
そんなある日、私はケアマネジャーとして担当している、ある高齢男性の自宅を仕事で訪問しました。そこでその方と話をしている時に、ふと思ったのです。
「もしかしたら人生の先輩に聞けば、えんじょるのを実現する為のヒントを教えてもらえるかもしれない!」と。
そこで私はこう質問しました。
私:「願いを叶える方法を知ってますか?」
そうすると、元学者であるその方は、はっきりこう言ったのです。
元学者:「知ってますよ。」
・・・何ですって〜❗️❗️そこで私はドキドキしながら続けて訪ねました。
私:「どうやったら叶うのですか?」
元学者:「フランスの心理学者ソンディが言いました。人は想いを2万回言えば深層意識に刷り込まれて、その想いをあたかも現実のように認識するようになります。そして20万回言えばそれは本当に現実になります。」
私:「!!!・・・20万回! 本当ですか?」
元学者:「本当です。私はそれで万馬券を当てました。」
私:「ま、万馬券…!じゃ、億万長者になれちゃいますね…」
元学者:「・・・・」
エェ〜ッ、ノーコメントですか〜!
でもその方のあまりにも自信に満ちた言い方に衝撃を受けた私は、全く疑う気持ちも起きず、その場で20万回チャレンジをする事に心を決めたのです。
言う言葉は「えんじょるのは実現する」
これを早口で連続して言うと、1分間に65回言えることが分かりました。これで計算すると20万回に到達するには、51時間15分言い続ける必要があります。
・・・マジかよ
一日30分を103日・・・
でもやると決めたらやる!
という訳で、早速その日からチャレンジスタートしたのでした。
私は車を運転してる時に必ずこれを言う事にしました。手帳には10分続けて言ったら正の字の一を書く、これを1日3本。これを103日続ければ達成です。
毎日毎日、運転しながら言い続けましたよ〜。やってるうちに途中でバカバカしくなって、暫くしたらまたやる気が出て、そしてまた今度は更にバカバカしくなって…そんな事を繰り返してるうちに、口の筋肉が動きを覚えてしまい、段々とこの言葉を言うことへのストレスはなくなって来て、面白いことにやがて言うのが習慣になってしまいました。車に乗って走り出したら、自然と口から出てくるのです。これには正直自分で笑ってしまいましたが…
でもその結果〜、少し遅れましたがその翌年の2月に達成〜!
「20万回〜❗️やった〜!」
大喜び!
って別にならないんですよ、これが。
達成しても、不思議と達成感なんて全然感じないんですね。むしろ習慣化しちゃってるから、「もうやんなくていいのかぁ」って、一抹の寂しささえ感じてしまう始末…
なんだか味気な〜く感じつつも、自分の中では「お遊び終了〜」って言う感じで、その後すぐにこの20万回チャレンジの事は忘れてしまったのでした。
しかし、実は最近になって気がついたのですが、時期的に見るとちょうどこの20万回達成の1ヶ月後に「えんじょるの」マッチングシステムは完成しているんですね…あまりの忙しさで気が付きませんでしたが…
その事実に気がついた時、私はちょっと背筋が寒くなりました。
ジーサマ、スゲエ!
日本一になった話
前回の私のハチャメチャ人生ネタ、ブログ閲覧数の新記録を更新したので、私はうれしくてテンションがハイになっております(笑)
でも「えんじょるの」ブログなのに、関係ないネタのほうが人気が出てるので、悲しくて時々テンション下がってます(泣)
でもせっかくなので、もう少しだけハチャメチャ人生ネタ続けたいと思います。
今回は私が入部した実業団アメフト部「スカイラークス」に起きたドラマチックな話をしたいと思います。「えんじょるの」ファンの皆さま、申し訳ありませんが、もう少しだけ私のわがままにお付き合いください。
1997年4月、私は運よく実業団アメフト部「スカイラークス」に採用して頂き、アメフト選手として生活を始めることになりました。幸せなことに正社員だったので、もう夜な夜な醤油をなめて飢えをしのぐこともなくなりました(笑)
当時スカイラークスは2部から1部リーグに上がったばかりの弱小チーム。入部してくる選手は、大学時代無名の選手が多く、強豪チームと比べるとどこかパッとしない感じのチームでした。そんな私も例外ではなく、2部リーグ出身の無名選手。
当初私は3年間アメフトをしたら引退するつもりでいました。
元々入部した動機も「アメフト選手として雇ってもらえればラッキー」という消極的なものでしたので、正直言って「チームが勝とうが負けようが自分の将来には関係ない」そんないいかげんな気持ちを心の中に抱えながら練習も試合もこなしていたのです。
そして計画通り、3年目の秋のシーズンが始まる9月ころには、翌年からの進路を決めていました。私は以前から興味があった福祉業界で働こうと思い、この時既に社会福祉士という資格を取る為の学校に入学手続きを済ませていたのです。
ところが、人生とは不思議なものです。私はその年で引退する気満々だったのですが、ある人から言われたたった一言によって気持ちが180度変わり、結局はトータル9年間も選手を続けることになったのです。しかも死ぬほど本気で。
それは小学2年生の「ひろ君」とそのお母さんとの出会いが始まりでした。
ひろ君は「スカイラークス」の大ファン。いつも試合には必ずお母さんと一緒に応援に来てくれていました。
ある試合の日のこと。
その日、スカイラークスは強豪フロンティアーズにコテンパにやられて無残な結果で試合を終えました。私はロッカーに引き上げる前にいつも大声で応援してくれているひろ君とお母さんに一言お礼を言おうと思い、観客席の近くまで走って行ったのです。もうすぐ引退だから最後にけじめをつけたいという想いもありました。そして私はフェンス越しにこう言いました。
「いつも、応援してくれてありがとうございます。せっかく応援してくれてるのに負けてばかりですみません。」
そしたらお母さんからこんな返事が返ってきたのです。
「スカイラークスのことはすごく応援しています。この子は多動性障害という病気があって、学校の授業では10分でさえじっと席に座っていられないのですが、スカイラークスの試合だけは最後までわき目も振らずに応援できるんですよ。それくらいこのチームが大好きなんです。だからこのチームが勝ってくれることがこの子にとって「希望」なんです。」
私はその言葉を聞いた時、頭を殴られた気がしました。
何故なら、ひろ君がスカイラークスが勝つことを信じていつも一生懸命応援してくれていたのに、当の選手である自分は「俺たちなんて強豪相手に勝てるわけない」と最初から心のどこかであきらめて練習も試合も中途半端な気持ちでやっていたからです。
そしてロッカールームに引き上げた後、私は本当に自分が情けなく感じてしまい、涙があふれて止まらなくなってしまいました。
「俺は今まで何てひどい事をしてきたんだろう。自分の人生のことしか考えずに、ずっとこの子の希望を裏切ってきたなんて。俺、最低のスポーツ選手だわ・・・」
そしてその時、私は心の中にある覚悟を決めたのです。
「このまま辞めたら俺は一生後悔する。ひろ君の為にもう一度本気でやってみよう。」
そうして私は、引退する予定も翌年の学校への入学も全てキャンセルし、ひろ君の為に人生をかけて自分がやれる限りチャレンジすることにしたのです。
翌日から練習への取り組み方もガラリと変えました。ひろ君の為に日本一を目指して挑戦することを自分の心に誓い、練習では一切手を抜くことをやめたのです。ウエイトトレーニングでは足腰が立たなくなるまで徹底的に追い込み、グランドでは全てのメニューで100%を出し切るようにしました。走っている途中でグランドの隅で吐いては再び練習に戻ったり、練習直後に全身けいれんして救急病院で点滴を受けることもありました。ただ、ひろ君の信頼に応えたいという想いだけで毎回本気で練習する様になったのです。
しかしアメフトはチームスポーツです。自分一人が頑張ったからと言って急にチームが強くなる訳ではありません。相変わらずチームは負け続き。「スカイラークス」が本当に強いチームになる為には、まだまだ沢山のハード面、ソフト面での要素が不足していたのです。
しかし無いものは仕方がありません。それでも私は「やるしかない」と腹を決めてひたすら頑張っていたのでした。
しかし、人生には不思議な事があるものです。そうやって自分なりに努力を始めて2年目のシーズンオフの事でした。「スカイラークス」に信じられない出来事が起きたのです。
なんと強豪オンワードオークスとスカイラークスが合併する事になったのです。そのことはスポンサー企業側からある日突然発表されました。選手達は皆唖然・・・
「二つのチームが合併するなんて聞いた事がない」「一体どうなるんだろう」
選手全員がそんな不安を抱える中、新しいチーム「オンワードスカイラークス」が誕生したのでした。
合併にまつわる苦労話やエピソードは山ほどあるのでここでは割愛しますが、結論から言うとこの合併はスカイラークスにとって良い結果をもたらしました。
1番良かった事は、一気に選手層が厚くなった事です。さらに合併後は両チームの選手に加えて、他チームから移籍してきた選手や、アメリカから来たプロ選手、そして大相撲を引退したばかりの元横綱・若乃花をチームに迎え入れるなどして、チームは一気に戦力アップしました。これにより「スカイラークス」はまたたく間に強豪の仲間入りをすることになったのです。
そんな信じられないような幸運もあり、合併から3年後の2003年12月13日の東京ドーム、3万人の大観衆が見守るアメフト社会人No1を決める大舞台で「オンワードスカイラークス」は強豪シルバースターを破り念願の社会人日本一になったのでした。
もちろん観客席には、大喜びするひろ君とお母さんの姿もありました。ひろ君がお猿さんみたいにフェンスにしがみついて叫びながら喜んでくれました。
そしてその試合のMVPとして表彰されたのは、なんと、ワ・タ・シ(#^^#)
今でも思い出すとドキドキしちゃいます~。
4年前、ロッカールームで涙が止まらなかった時から始まった自分との闘い。
色々な人から「日本一なんて無理だよ」と言われたこともありましたが、それでもめげずに、這いつくばって、ゲロ吐いて、涙を流して、また立ち上がる。そんなことを繰り返してるうちに、多くの素晴らしい仲間との出会いがあり、色んな幸運やチャンスにも巡り合い、その結果チームは頂点にたどり着くことが出来ました。
以上が私のハチャメチャアメフト人生の思い出でした。
そしてこちらはその時の試合↓↓↓。
映像開始10分からの攻撃で、気合い入れて走っている背番号34番が私ですよ!(^^)!
以上で4回に渡ってお送りした私のハチャメチャ人生シリーズはこれにて終了〜(^^)
でも、まだまだネタはあるので今後も小出しにしていきますね!
引き続き「えんじょるの」も宜しくお願いしま〜す!
実業団アメフト部の話
ご好評につき、”ハチャメチャ人生”シリーズ、3回目です。完全に「えんじょるの」から路線が外れてしまっていますが、このシリーズだけはご愛嬌という事で(笑)
1回目はダンサーを目指して挫折した話、2回目はパイロットを目指して挫折した話でした。さあ3回目はいったい何に挫折するのでしょうか~?
当時私は24歳。都内で家賃3万円の安アパート暮らし。バイト生活で生活費はカツカツ、国民年金さえ払えない状態。財布の中に20円しかなかった時は、醤油をなめて夜を過ごしたことも・・・
そんな生活を送っていたある日、私はついに思いました。
「さあ、いよいよ人生の決断をしなければならない!このまま好きなことを追い求め続けるか、それとも真面目に会社員として就職するか。」
そして私が出した結論はというと・・・ナント両方の良いとこ取り!
「好きなことで就職する」でした~!(^^)!
でた~ワガママ〜!
二兎を追う者は一兎をも得ずって言葉しらないの~?世の中そんなうまい事いくわけないでしょ~!
って思ったアナタ!実は私もそう思っていました(笑)
それでも”やってみなけりゃ分からないっ!”てノリで、「好きなことをして働ける就職先」を探してみようと思い、私は人生初の就職活動を始めたのでした。
そこで、まずは自分の好きなことを整理しないと話が進みません。とりあえず列挙。
(好きな事)
パイロットになって空を飛ぶ →挫折済み
プロのダンサーになる →挫折済み
読書 →食っていけない
走る事 →食っていけない
全部だめか ・・・ん、まてよ?走力を生かしてスポーツ選手になれば・・・いけるかも?
というのも、私は大学時代にアメリカンフットボールをしており、当時足の速さだけは自信があったのです。だから、もしかしたら当時の私の映像を見せればどこかの奇特なアメフトの実業団のチームが採用してくれるかも知れない!と考えたのです。
「これだ!これしかない!」
と言う訳で、私は人生初の就職活動を始めたのでした。
就職活動と言っても、ごく一般的なリクルートスーツを着て面接官に「御社の理念に共感しました」と真面目な顔で嘘をつく活動とは違います。
私の就職活動は、学生時代の自分のアメフトの試合の映像の中から、私が活躍したシーンを集めてVHSのビデオテープに編集し、それを実業団のチームに一方的に送り付けて、相手からの返事を待つという非常に強引かつ失礼極まりないものでした。
早速10チームほどに送り付けてから3日、5日、1週間が経過。
・・・返事がない。やはりダメか・・・
と諦めかけていたころ、10日目に一本の電話が!
コーチ:「もしもし、ビデオ見ましたよ。とても良いと思いますので一度グランドに来てください。」
私:「はいっ、喜んで!!!」(心の中でガッツポーズ)
結局返事をくれたのはそのチームだけでしたが、そこからトントン拍子に話は進み、私は翌年の春に晴れてそのチームに実業団アメフト選手として就職する事が決まったのでした。
就職した会社は ㈱すかいらーく。ガストやバーミヤンなどのファミレスを展開している会社です。この会社、社長が大のアメフト好きで20年前は自社でアメフトチームを持っていたのです。チームの名前は「スカイラークス」・・・そのまんまです(笑)
当時スカイラークスは2部リーグから1部リーグにあがって来たばかりの弱小チームでしたが、社長は例え無名の選手でも将来性があれば積極的に採用するという考えの器の大きな方で、チームも上昇気流の勢いに乗っている面白いチームでした。
そして1997年4月、念願の「好きなことで就職する」という目的を達成し、正社員としてスカイラークスの一員になった私は、他の選手と同じように 昼間はグランドで練習、夜は近隣のすかいらーく系列のファミレスで仕事という生活を送ることになりました。
スカイラークスは埼玉県川越市が本拠地で、「オレンジフィールド」と呼ばれる専用の天然芝グランドには、ミーティング場とウエイトトレーニング場も完備されたクラブハウスがありました。栄養バランスがとれた食事も防具もトレーニングウエアも全て支給され、プロのコーチ、トレーナーも常駐する充実ぶり。
夜な夜な醤油をなめることが日課になっていた私にとって、こんな恵まれた環境の中で仕事としてアメフトができるなんて信じられない気持だったことを覚えています。
こうして、パイロット、ダンサーという二つの挫折を経験した私は、実業団アメフト選手と言う新しい道を歩き始めたのでした。まさかこの後、最高の仲間たちとアメフト選手を9年間も続けることになろうとは夢にも思わずに。
戦闘機に乗った話
前回、ディズニーランドのダンサーだった話をした所、多くの人から
「もっと他にも面白ネタ持ってるでしょ!」
と言われたので、今日はもう一つ書こうと思います。
全世界の「えんじょるの」ファンの皆さん、今回も関係ない話ですみません。
えっ、こっちの方がいいって⁉︎
「・・・・・😅」
昔私は自衛官をしており、その時一回だけF15イーグルと言う戦闘機に乗って空を飛んだことがあるんです!
当時私が自衛隊にいた理由は、国を守りたいとか、困っている人を助けたいと言うような高尚な理由ではありません。単にパイロットになって空を飛びたかったからです。
パイロットといっても民間のセスナ機やジャンボジェットのパイロットではなく、私はブルーインパルスと呼ばれる自衛隊の曲芸飛行チームに入りたいと思っていました。
そのためには、まず航空自衛隊の戦闘機のパイロットになる必要がありました。そこで私は、必死に勉強して高校卒業後に防衛大学校に進学したのです。
その学校は全寮制で、学生は4年間軍隊のようなひたすら厳しい生活を送ります。(訂正します。”軍隊のような”ではなく”モロ軍隊”でした。)そしてそこで学生は季節ごとに自衛隊の専門的な訓練を受けるのですが、4年生の夏の訓練では、戦闘機の搭乗訓練があるのです。この訓練は戦闘機の後部座席に乗せてもらって、実際の戦闘訓練を、あくまでも「体験」する訓練です。
4年間の在学中に、戦車やヘリ、護衛艦や潜水艦など自衛隊のほとんどの乗り物に乗ることができるのですが、戦闘機の搭乗訓練は4年間の中で最も楽しみにしていた訓練でした。
当日は、朝から「Gスーツ」と言う飛行服とヘルメットを身に着けて、搭乗前のブリーフィング(打ち合わせ)を終えると、すぐに空の上にあがります。1.2分もしないうちに雲の上にでると、日本海上空の訓練空域で敵と味方に分かれてドッグファイト開始!
急旋回したと思ったら急上昇、いつの間にか頭の上に海があったりして、自分の姿勢を認識するだけで精一杯。はるか頭上に輝く太陽に向かって、戦闘機はまるでロケットみたいに垂直に昇って行き、その後は大きな弧を描いて宙返り。その間Gと呼ばれる遠心力で体はずっと座席に押さえつけられっぱなしです。戦闘訓練の時間は約40分間。まるでエンドレスでジェットコースターに乗っている感覚の中、やがて当然のごとく
「・・・やばい、吐きそう・・・」
「オエェ~」
と言う訳で、上空2000mで、持参したスーパーのビニール袋に朝食を全て戻したのでした。(搭乗前に飛行機の整備士の方から「死んでも酸素マスクの中に吐くな!吐くときは酸素マスクを外してビニール袋の中に吐け!」と強く言われていました。後で掃除が大変だからだそうです(笑))
その後吐いたら少しだけ元気を取り戻した私は、しばしの戦闘機同士の鬼ごっこを楽しみ、やがて訓練は終了。
そして最後パイロットの方から少しだけ曲芸飛行をサービスして頂き、無事に基地に帰って来たのでした。もちろん手にはビニール袋に入ったお土産を持って。
戦闘機に乗ったのはこの一回きり。それでもいつまでも忘れられない貴重な思い出です。
吐いてスッキリした後の私
その後大学を卒業した私は、念願のパイロットコースに進みたかったのですが、結局は卒業後すぐ視力検査で落とされて、パイロットコースに進めませんでした。
そうしてその後すぐ、私は失意のどん底の中自衛隊を去り、なぜかダンサーを目指すことになったのでした…⁉︎
ダンサーだった話
皆さん、ディズニーランドは行ったことありますか?
日常を忘れて夢中になれる「夢の国」・・・素敵な場所ですよね。
私は最近、何故だかディズニーランドが頭から離れないのです。暇があるとyoutubeでパレードの動画を見てしまう・・・
私のディズニーランドの想い出のシーンは、1995年の大みそかの夜。あと30分で新年を迎える寒空の下で、何百発もの打ち上げ花火と大音量の音楽を流しながら走るきらびやかなパレードカーの行列。パレードの行列は、コースのほとんどを埋め尽くし普段のパレードの3倍から4倍の長さ。ダンサーの数も450人という膨大な数。そして沿道には、お客さんがはるか先まで埋め尽くす。毎年行われる「カウントダウンパーティ」と呼ばれるパレードです。(あまりの人気ぶりに場所取り争いでトラブルが多発したため、今は行われていないようです。)
驚くかもしれませんが、私はこのパレードにダンサーとして出演していたのです。当時私は本気でプロのダンサーを目指していました。(このネタ、今回初披露です・・・)早朝のバイトで生活費を稼ぎ、午後から夜までは毎日ひたすらレッスンに打ち込んでいました。調度そのころ知り合いからディズニーランドカウントダウンパレードの臨時ダンサー募集の案内を聞き、さっそくオーディションを受けたらナント合格!
という訳で、この1995年のカウントダウンパレードは、ダンサーとして出演していたのでした~!(^^)!
もう25年前になりますが、パレードの時の様子はすべて昨日のことのように覚えています。ピーターパンに出てくる森の小人の衣装を着て練り歩き、あらかじめ決められた場所まで進んだらショータイムが始まるのです。目の前にははるか先まで埋め尽くす観客。そこで毎晩夜中まで練習して覚えた振り付けを、ピーターパンユニットの約40人のダンサーたちと一緒に踊ったのです。
楽しかった~、ホントに、
当時の私の後ろ姿
結局その後ダンサーになる夢は挫折しましたが、あの時の人生をかけたチャレンジは今でも私の心の中で輝いています。当時はお金もなくて体もきつかったけど、今思えば人生で一番楽しい時期でした。
だからyoutubeの動画を見ていると、あの時のワクワクが蘇ってくのです。
やっぱり人生はチャレンジしなくちゃ面白くない!
という訳で、これからも「えんじょるの」でチャレンジしていこうと思います(^^)
若者vs高齢者!?
今日のニュースで「インフルエンザワクチン65歳以上優先」の記事(https://news.yahoo.co.jp/pickup/6370892)に対する、ヤフーコメントがすごい事になっていました。そのほとんどは、若い現役世代からの投稿で、
高齢者より子供や若者を優先すべきだ!
という内容。まるで世の中への不満の矛先が高齢者に向いているようです。
今後、暴走して「老い先短い高齢者なんてどうでもいい」という風潮にならないと良いのですが。
私はケアマネジャーとして働いていますが、それでも本音では「高齢者は長年生きてきたのだから、それだけで十分幸せでしょう。」と思っています。
なぜなら私の身の回りには若くして亡くなった方が大勢いて、どうしてもその方々と比べてしまうからです。だから私は例え要介護状態の高齢者であっても、「人生を味わい尽くせた幸せな人たち」という風に感じています。
その時代その時代で苦しみの種類は違います。現代を生きる若者と戦後苦労をしてきた高齢者、どちらが苦しいかなど比較はできません。ただ、どちらも苦しい事は確かだと思います。必要なのは、双方の世代がお互いを思いやること。
「高齢者の暮らしを守る為に若者が犠牲になる社会」
であってはいけないし、
「高齢者が見捨てられる社会」
でもいけません。
ただ個人的には、高齢者の皆さんは長い人生を生きてきたというその事だけで既に充分な見返りを得てきたと思っていますので、これからは次の世代の幸せを第一に考えてあげて欲しいと私は切に願っているのであります。
年間2万人が自殺する国。
子供でさえ「生き辛い」という国。
少しでも生きやすい社会にする為に一人ひとりが行動していきましょう。
・・・最後に私の好きな詩をご紹介。
【あなたの手に】
あなたの手に この重い地球を渡すとき
空は散らしているだろうか 鳥を
花は宿らせているだろうか 露を
人は微笑んでいるだろうか 人と 今よりも
あなたの手に この重い地球を渡すとき
波は揺らせているだろうか 海を
山は見上げているだろうか 星を
人は抱きしめているだろうか 夢を 今よりも
自己肯定感
前回の続きです。えんじょるのは世間の同調圧力とどうやって闘ってきたか。
今日は私の今までやってきた作戦をお伝えしましょう。
何しろ「えんじょるの」を広めようと色々な組織にプレゼンに行くと、まあ叩かれまくります(・・・おかげでずいぶんと強くなりましたが。)
何しろ相手は日本人のハートを支配する巨大なボスキャラ「同調圧力」。日本人が共通感覚として持つ、多数のやり方に従わない者を排除しようとする巨大な力なのです。正面から闘っても勝てる見込みはありません。
そこで私は二つの戦法で闘ってきました。
一つはフィールドを変える事。そしてもう一つは自己肯定感を高めることです。
フィールドを変えるとは、同調圧力の弱いところで闘うやり方です。
最初私は、行政や自治会、介護系の団体の集まりに直接出向いて話をするというやり方をしていました。しかし、今になって分かりましたが、このやり方はよほど私に力がないと勝つ見込みがない方法でした。
つまり世の中には同調圧力が強く働いている組織と、比較的弱い組織があり、はじめから強い組織にアプローチしても一蹴されるだけだったのです。
同調圧力が強い組織とは、いわゆる行政や巨大企業の様なピラミッド型組織。ボスが頂点にいて、その部下、さらにその部下と何層にも分かれている大きな組織です。このような組織は細部に渡るまでルールが存在するため、そこから外れた提案はまずはねつけられます。だから正攻法で行っても、時間だけが過ぎて一向に話が進展してかないのです。今になって分かったのですが、このような組織はいきなりトップにアプローチするのが一番効果的な様です。なかなかできませんが…
それと、学校のクラスや町内会の様なフラット型であっても、自主的なのルールによって繋がっている組織です。このタイプの組織は、たいてい独自の不文律のルールが定着し、やはり異質なものには厳しい。
だから、私は途中から同調圧力が弱い分野にアタックすることに戦法を変更したのです。それは、インターネットや個人的なつながりから、共感の輪を広げていくという方法です。その拡散力は世の中を変える力を持っていますし、そこにはそもそも個人と個人のつながりなので、同調圧力すら存在しません。要は広がれば良いのですからね。これが一つ目のフィールドを変えるという戦法です。
それともう一つは自己肯定感を高めることです。自己肯定感とは、イヤなことがあったり失敗したりしたときに、「大丈夫、何とかなる」と自分を受け入れ、勇気づける感覚のこと。自分はかけがえのない自分であるという意識です。
なんだ、そんな精神的なことか~、なんて思わないでくださいね。これが効果があるのです!
日本社会は「個性」を抑制し「集団」を優先することが要求されるため自己肯定感を失いやすい所だと思います。でも私は「えんじょるの」を広めたい!という自分の心の願いを大切にし、そんな自分をバカだと思わず、自分が取り組むことを信じて、そんな自分はかけがえのない自分であるという自己肯定感を持つことで、同調圧力に折れずにここまでやってくることが出来ました。
「自分を大切にしたい」という自己肯定感は、同調圧力と戦う動機とエネルギーになります。そして嬉しいことに、このように自分の気持ちを大切に日々過ごしていると、周囲に対しても肯定的な雰囲気を広げるため、自然と健全な人間関係を結んでいることが多くなり、そして健全な関係の中にいるから、イヤなことが起きにくいという好循環が成り立つような気がします。以前は私も人間関係に悩んでばかりいましたが、関係改善のテクニックに走るより、自己肯定感を高めることが効果的だと感じています。
前回のブログでも書きましたが、同調圧力には良い面もあります。しかし「えんじょるの」を広めたいと思っている私にとっては弊害のほうが大きい。問題は、「同調圧力」そのものではなく、その理不尽な強さなのです。
という訳で、まだまだ道半ばですが、これからも前向きに頑張っていきます。
本日はこんなところで~
同調圧力
今日はちょっと小難しい言葉を出してしまいました。
でも、私が「えんじょるの」と共に歩んできたこの2年半、思い返せば「同調圧力」との闘いだったなぁと思うため、今日はこのことを書かせて頂きます。
「同調圧力」とは、「何事も周囲と同じことをしなければならない」という周りからの無言のプレッシャーのことです。皆と違うことをしている人を叩くアレです、アレ。
特に日本社会はこれが強いのではないでしょうか。最近でもコロナ自粛の中、自粛しない人を糾弾するニュースが後を絶ちませんね。
「自粛しないと、皆が迷惑だろ!自分勝手な事するな!」って具合に。
日本では職場でも学校でも「個」よりも「集団」を大切にすることが優先されます。「みんな一緒に」、「空気を読んで」、「人に迷惑をかけないように」という事が、「自分を大切に」する事より優先される文化なのです。
同調圧力とはつまり、「組織の安定を妨げようとする異分子は、なるべく寄せ付けず排除しようとする力」。当たり前と言えば当たり前の自然の摂理ですが、私自身が「えんじょるの」という異分子になると強く実感した圧力でした。
この「同調圧力」、新しいことを始める時には大きな敵になります。存在の見えない敵です。しかも日本人全員の心の中に既に常識として入り込んでいる、とてつもなく巨大なボスキャラです。
それでも私は少しずつこのボスキャラとの闘い方がわかってきました。私がいかにこのボスキャラと闘ってきたのか。次回その闘い方について書かせて頂きますね~。
お読みいただきありがとうございました。
#えんじょるの#買い物ボランティア
品数の制限
えんじょるので買い物を頼む利用者は、人によって注文するものが違います。
・・・当たり前ですが(^_^;)
ただ、現実問題として買い物代行をする援助者にとっては、注文される量によって負担が大きく変わってきます。
1万円分の買い物と、1500円分の買い物ではそれこそ大きな違いになります。
1万円分の注文となると品数にすれば約25品目以上、すべて電話で品物を確認しながら受注すると電話の時間だけで15分はかかります。当然お店で買い物もかご二つ分山盛り、現金も持ち合わせがないと急遽ATMでおろしてきたりカードで支払ったりなんてことも。
利用者の立場からすると、どうせ500円の謝礼を払うのなら、なるべく一度にたくさん頼んだほうがお得なのですが、援助者からすると毎回1万円分の買い物を頼まれるのが分かってくると「あの人からの買い物リクエストは受けたくない」と抑制が掛かってしまう可能性があります。
そうなると、受けてくれる買い物ボランティアが少なくなってしまい、利用者にとってもデメリットになってしまいます。
そこで、今後は購入量に関する一定のルールを設けようかなぁと思います。
分かりやすく、「一回の注文は最大10品目まで!」
なんてどうでしょうかねぇ。また他のボランティアさんの意見も聞いてみたいと思いますが。
利用者と援助者が双方納得できる形で折り合いをつけていくことが大事ですね。
いや~ホントやってみないと分からない事だらけです!
#買い物ボランティア#買い物弱者#買い物難民
コンサート・デビュー
テレビCM制作開始
いよいよ始めます。「えんじょるの」のテレビCM作り。
CM制作会社は、かの有名な広告代理店【北陸博報堂~】博報堂DYホールディングス
「おいおい、そんな立派なところに頼んでお金大丈夫?それに、売り上げゼロの個人事業主には完全に不釣り合いでしょ~」
と思ったあなたっ!その気持ちはよーく判ります。
だって私もそう思ってますもの(笑)
まずお金はどうするかというと、これは国の助成金を使います。以前ブログでちょっとお伝えしましたが、昨年に引き続き今年も「小規模事業者持続化補助金」という経産省の助成金に「えんじょるの」が採択されたのです。2年連続、快挙〜!!コロナ禍でこれから必要なサービスと認めて貰えたのかも。
そして、なぜ北陸博報堂みたいな有名どころが、「えんじょるの」のような吹けば飛ぶような個人のCM制作を請け負ってくれたのか。(普通相手にされませんから・・・)
実は「北陸博報堂」と「えんじょるの」は、非常に深いご縁があって、そのご縁というのは、2年半前のうおづビジネスプランコンテストに「えんじょるの」が出場した際、そのコンテストを魚津市から運営委託されていたのが「北陸博報堂」だったのです。
だから「北陸博報堂」の社員さんは「えんじょるの」がアイデアとして生まれた頃から現在までの経緯をぜーんぶ知っていて、今までも折に触れて応援を頂いてきたのです。
だから今回も、
私「お願いシャス!」
博報堂「はいよ〜!」
ってな具合で快く引き受けて下さったのでした(^^)
CMは10月から、今のところ地元のケーブルTVでしか流す予定はありませんが、YouTubeにもアップして、
「バズらせてやる」
なんて野望も抱いています。みなさんも協力してくださいね〜!
社会福祉協議会の皆様へ(ご報告とお願い)
この度、えんじょるのプロジェクトは下記の決定をしましたのでご報告いたします。
えんじょるのプロジェクトは「えんじょるの」のシステムを全国の社会福祉協議会の皆様に対し、
無償でお貸しします!
だから、社会福祉協議会の皆様、どうかこのシステムを使って皆さんの地域の買い物弱者問題を解決して頂けないでしょうか!
皆さんの「組織の信用力」と「現場のマンパワー」があれば、それが実現可能なのです!
皆さんの仕事は少しだけ増えるかも知れません。でも、「えんじょるの」は運用サイドの手間を減らすことも充分考えたシステムです。今私が本業のケアマネージャーの仕事の傍ら一人でやっている位の業務量です。数人で行えば大したことはありません!
それに通常、地域全体で買い物弱者対策事業を行おうとすると莫大な資金と手間が必要ですが、「えんじょるの」を使えば資金も手間もほぼゼロです。なぜなら「えんじょるの」は食料品を配達する事業ではなく、食料品を配達してくれるボランティアをマッチングさせる事業だからです。
この1年間私は自分で「えんじょるの」を運用してきて、地域にはたくさんの善意ある協力者がいることを知りました。 だから、社会福祉協議会の皆さんが少しだけ力を貸して下されば、たくさんの助け合いが生まれます。そしてたくさんの買い物弱者が救われます。皆様の働きが何百倍ものメリットになって返って来るのです。
私は「えんじょるの」の運用は社会福祉協議会にしかできない事業だと思っています。
私も「儲け」とか「ビジネス志向」は辞めます。「えんじょるの」が世の中の人々の為になるのであればそれだけで良い!と腹を決めました。人生最大のボランティア活動だと思っています。
今後、全国の社会福祉協議会1877箇所宛に下記の説明資料を添えて案内のメールをお送りします。是非ともあなたの地域で「えんじょるの」を使って下さい!
何卒よろしくお願い申し上げます。
〜〜「えんじょるの」で世の中をちょっとだけ幸せにしたい!〜〜
えんじょるのプロジェクト
代表 美齊津康弘
奇跡的な出会い
今日は嬉しい出来事がありました。
ケアマネジャーは毎月一回は担当する利用者の自宅に訪問して、そこで利用者やご家族と色々な話をします。
今日は私がケアマネジャーとして新しく担当することになったAさんの家に伺いました。そこでAさんは若い頃はスポーツマンだったという話に。
私「どんなスポーツをやっていたのですか?」
Aさん「学生時代にアメリカンフットボールを。」
私「!?へぇー、実は私もやっていたんですよ。ちなみにどちらの大学で?」
Aさん「ハハハ、防衛大学校ってところなんですよ。」
私「!!!⁉・・・・実は私も防衛大学校のアメフト部だったんです。という事は、・・・先輩?」
Aさん「・・・陸海空はどこ?」(※防衛大学校の学生は陸海空に所属が分かれていている)
私「空です」
Aさん「私も空だった。でも卒業後、奈良の幹部候補生学校にいる時に自衛隊をやめてしまったけれどね。」
私「私も、奈良にいる時に辞めたんです。パイロットになれなくて。」
Aさん「同じだね」
まさか、こんな出逢いがあるとは驚きました。
若い頃に同じ境遇を経験してきたなんて!
何か不思議なことがありそうな予感です!(^^)!