ついにゼロがイチに!
本日、私の地元の社会福祉協議会の方々と、これからの「えんじょるの」に関する大切な話をして参りました。
その結果…
ナント、来年度からその社会福祉協議会で「えんじょるの」を正式に採用してくださることが決定〜!
ヤッホー!
とうとう実現した!
3年間とてつもなく長かった!
ついに芽が出た!
さぁ、いよいよクラウドファンディングで多くの仲間から頂いたの資金を使ってチラシを作ろう!
そして準備していた社会福祉協議会との契約書の出番だ!
それにプレスリリースの準備も!
ウェブサイトもリニューアルなくちゃ!
4月から本格的な打ち合わせを始めて、6月くらいから稼働できたらいいなぁ。
今まで何度ぶつかってもびくともしなかった大きな大きな車輪が、今日少しだけ動いたような気がします。
「成功の要諦は成功するまでやる事にあり!」
昨年、宇都外務副大臣がかけてくれた言葉が心に蘇ってきました。
まだまだ成功には程遠いけど、今日は「0→1」(ゼロイチ)記念日!
だから今夜は祝杯で~す🍻
人を動かすのは感動
この度、一般社団法人「生活互助支援の会」設立にあたり、自分なりにどのような法人を目指したいか考えてみました。
そこで私の大切にしている価値観を再確認するために、自分の人生に起きてきた様々な転機を振り返ってみることに。
まず高校を卒業して自衛隊に進んだきっかけは、航空自衛隊小松基地で見たブルーインパルスの曲芸飛行でした。
「あんな風に僕も空を飛びたい!」
煙を吐いて飛んでいく戦闘機を目の当たりにして心が震えるくらい感動したことを覚えています。
しかしパイロットの適性検査に不合格となり失意の中自衛隊を退職してから、次に目指した事は、ミュージカル俳優になることでした。何故ならパイロットの夢が絶たれ、4年間目指してきたものが泡と消えたときに、私の心を救ってくれたのは1940年代のアメリカのミュージカル映画、ジーン・ケリーやフレッド・アステア、ジンジャー・ロジャースが踊る華麗なタップダンスだったからです。
「人の心を元気にするミュージカルってすばらしいなぁ」
同じ映画を何回も繰り返し観ながら、そのたびに感動していたのを思い出します。
その後ダンサーにも挫折した私は、次に実業団のアメフト選手になりました。この時は、必死に応援してくれた障害を持つ少年のために戦ってきました。
(詳しくはこちらのブログを)https://enjorno.hatenablog.com/entry/2020/09/26/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%80%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E8%A9%B1
「この子のために、そして仲間のために命をかけて戦う!」
そんな気持ちで取り組み、そして日本一になった時は仲間と抱き合って感動を分かち合ったものです。
そしてアメフト選手引退後は今も続けているケアマネージャー。幼き頃に若年性アルツハイマー病だった母を介護してきた辛い経験を、他の誰かのために役立てたいと思ったからです。だから今も毎日、
「介護で苦しんでいる家族を慰められる人になりたい」
と思って働いています。そしていつかそんな仕事ができるようになった時に、天国の母が喜んでくれる・・・その時大きな感動が待っている気がしています。
こうやって思い返すと、その時々で私を突き動かしてきたキーワードは
「感動」でした。
よーし、こうなったら、新しい法人も人々に感動を与えて人々の心を動かす企業にしていこう!
と言う訳で、思いついたタイトルイメージが、コチラ!
感動的な出会いと感動的な助け合いを創出する企業
感動法人「生活互助支援の会」
キター!
これだ~!
しびれる~!
よーし、早速これで法務局に登記だ~!
そんな風に1人で熱くなっていた、平和な土曜日の昼下がりなのでした。
(…そもそも、感動法人なんていう法人形態は存在しません。従って登記はできません・・・笑( ;∀;))
法人化が決定!名前も変わります。
いよいよ「えんじょるのプロジェクト」は、非営利組織である一般社団法人になります!
そして先日、協業企業である(株)クーバル・グループ(https://quval.com/)
とのミーティングにて、新法人の名前が決まりました!
それがコチラ
とても最新のウェブシステムを扱う会社には思えないでしょ。むしろ
「昭和の時代から地域住民と共に歩んできた助け合いの団体」
的な雰囲気を感じさせる、重厚な言葉の響きです(^-^)v
もちろんシステム名として「えんじょるの」という名前は残ります。
つまり、「(一社)生活互助支援の会」が提供する「えんじょるの」となる訳です。
さぁ、なんだか面白くなりそうですよ〜
ワクワク!
NPO法人 全国移動ネット
すばらしい団体を見つけました!
その名も「NPO法人 全国移動ネット」
知ってましたか?
この組織の定款には設立目的として、こう書いてあります。
「高齢者・障がい者などの移動困難者及びその移動を支援する団体に対して移動 サービスに関する事業を行う」
この組織、要は、
「今の制度の枠組みの中で、高齢者でも安くて手軽に外出できる様な移動手段を普及させよう」
と頑張っている団体なのです。
私も普段からこんなことを考えています。
「車がない高齢者は出かけるのが困難。タクシーは高いし、バスは使い勝手が悪い。何とか手軽に安く出かけられないか?
そのためには、世の中にわんさと走っている自家用車を活用するしかない!
どうして日本ではウーバーが解禁されないの?
タクシー業界を守るため?そんなのおかしいよね!
世界はSDGsを目標に掲げて持続可能な社会を目指しているのに!
シェアリングエコノミーで資源を節約する社会を目指すべきなのに!
世の中にはこれだけ多くの人が車を運転しているのだから、移動に困っている人は、ついでに乗せてもらえるような仕組みがあればいいじゃないか。」
実は国土交通省も、この時代の流れを感じてか、2019年にこのような冊子を出しています。この冊子には、今の法律の枠組みの中で、自家用車を使って高齢者の外出を支援する方法をいくつか提案しているんですよ。
そして「NPO法人 全国移動ネット」は、この冊子に乗っているそれらのいくつかの方法を具体的に実践できるように、事例を紹介したり、組織の運営方法などを普及している団体なのです。
私もこの冊子に書かれた方法で、ケアマネとして担当している利用者さんに、ボランティアさんのマイカーで透析の送迎ををお願いすることができました。もちろん有償で。
その際、「NPO法人 全国移動ネット」に電話で質問したところ、事務局長さんがとても親切に説明してくれましたよ。
ありがとうございました~!
これから法律も世の中に合わせて変わっていくことを願っています。
尊敬するピエロ先生
懐かしい人を思い出しました。
今でも私が尊敬する人。
もう25年近く前。私が自衛隊を辞めて、極貧生活の中アルバイトをしながら東京田町にあったタップダンススクールでひたすらレッスンに励んでいた時の事。
そのスクールのカリキュラムに「パントマイム」のレッスンがあり、そこの先生は現役のピエロ(ピエロ=クラウンと言います)をしている方でした。
その先生の名前は、白井博之さん。当時30歳位。白井先生は、週に一度のパントマイムのレッスンになると地味な格好でスタジオにやって来て、白いTシャツとジャージ姿で教えてくれるのです。小柄で物静かな方で、頭も7:3分け。どう見てもサラリーマン風!実際に有名私立大学の哲学科を卒業したそうで、新聞の論説委員の方が似合っている様な方でした。
(当時とあまり変わらない白井先生)
「ホントにこの人、ピエロ?鼻を赤く塗って大騒ぎするの?」
そんなギャップを感じながら、レッスンを受けた事を覚えています。
でも、このレッスンが実に面白い!
何しろ、白井先生の動作一つ一つの表現力がすごいんです。
パントマイムって、何もないところに壁や扉が現れたりするだけじゃなくて、風船にぶら下がって空を飛んだり、太陽のぬくもりを感じながら草原を歩いたり、そんなことまで体の動きだけで表現できるんですよ。
白井先生のお手本を目の当たりにして、「あっ、ホントに空飛んでる!」
って感激したことを覚えています。
「エンターテイメントって言うのは、人をもてなして楽しませる事」
そんな白井先生の静かに語る言葉に、プロフェッショナルの姿を学びました。
(クラウン姿の白井先生)
あと驚いたのは、この方パントマイムだけでなく、タップダンスもジャグリングも出来ちゃう!
ある時は足でタップしながら、手はボール3つでジャグリングするなんていう芸当も目の前で見せてもらいました。
「プロは普段は格好つけないで、本番の結果で勝負するんだなぁ。白井先生、チョー格好いいなぁ」
そんな風に感動したことを覚えています。ほんの一年位の関わりでしたが、私の人生に大きな影響を与えてくれた方です。
恐らく、今の私がイベントのたびに下手な芸を披露してしまうエンターテイナー魂も、白井先生から教わったのかも知れません(笑)
白井先生は、現在もクラウンを養成する会社をされています。
こちらです↓↓↓
いつか再びお会いできるといいなぁ。
折角なので、最後に私の下手なりのエンターテイメント「カバタップ」の映像が残っていましたので、宜しければご覧下さい♪
(加畑のタップだから、カバタップ(笑))
総務省の「地域課題の解決案公募」にチャレンジ!
総務省が全国各地でこんなアイデアを公募してるの知ってましたか?
私も先月まで全然知りませんでした。
先日たまたま、こちらのサイトを見つけたので読んでみたところ、
要は、各自治体が、
「うちの地域はこんなことが困ってるんです~。誰かICT技術を使って解決できる人いませんかね~?」
と総務省に相談して、総務省が、
「よしよし、分かった。じゃあ、この困りごとを解決できる人を探してあげよう!」
「誰か~、良いアイデア持っている人いませんか~?」
って感じで全国からアイデア募集しているのがコレなのです。
この募集要項は、東海地区ですが、同じように東北や中国地方でも行っているようでした。
そこで私は、「自治体から出された困りごと」の一覧を見ていたら、
あった、あった、ありましたよ~
えんじょるのが解決できそうな課題が
それが、こちら
豊田市が課題に挙げた「高齢者の見守りネットワーク」
これだ~!
この課題なら、「えんじょるの」が解決できます~!
何故なら、前回のブログで話した「えんじょるの構想」が実現して、地域の大勢の高齢者とボランティアがシステムに登録することになれば、その結果この「見守りネットワーク」も一緒に実現できちゃうからなのです。
よし、応募しよう!
という訳で、早速翌日、
「豊田市さん、お任せください!その課題、えんじょるのが解決してご覧に入れまする!」
と書いてメール送信したのでした。(ホントはちゃんと詳しく書いてます(笑))
応募の締め切りはちょうど3日前の3月10日。
これから応募の中から良いものを選考して、もし豊田市が
「えんじょるのイイね~」
って言ってくれたら、3月中に先方からヒアリングの連絡が来るそうですよ~
ワクワク~。
なんでもやってみなくちゃね!(^^)!
長野県元気づくり支援金 申請完了!
長野県には「長野県元気づくり支援金」という助成金があります。
これは地域づくりに取り組む団体に対して助成されるもので、県が毎年、年明けから
3月1日まで
「助成金ほしい~!」
という団体を募集をするんですが、実は「えんじょるの」も地域づくりを目指す組織なので、バッチリこの助成金の応募要件に当てはまるんです^_^
でも私この助成金の事、全然知らなかったのです、
2月26日まで…
【2月26日 朝9:30 仕事が休みで何気なく家でネットを見ている私】
「へぇ〜、こんな助成金あるんだ。申し込んでみよっかなぁ。えーっと申請期限は・・・3月1日…」
「あと3日⁉︎」
「そりゃムリだな〜。諦めるかぁ」
(でも待てよ、もしあと3日で書類が用意できたら、もしかしたらアレが実現できるかも知れないなぁ…)
アレとは…、そう、なんだと思いますか?
私がお金さえあれば絶対やりたいアレ!
その名も「えんじょるの構想」なのです!
もしかすると以前も一度ブログに載せたことがあるので知ってる方もいるかも知れませんが、せっかくなのでもう一度ご説明しましょう。
えんじょるの構想とは、今の買い物代行サービスに加えて、「お出かけ付き添い」「ゴミ出し代行」「掃除片付け手伝い」「娯楽のお供」「行方不明者捜索」の5つのサービスを合体させて、このシステム一つで高齢者の日常生活の困りごとをほぼ解決してしまう様なスペシャルなシステムを作っちゃおう!と言うのっぴきならない構想なのです。
「うーむ、それにしても、あと3日で申請書が作れるか。添付書類は、えーっと、予算書、見積書、計画書、実績を証明する書類…他にも色々あるなぁ・・・」
「でもダメ元でやるだけやってみるか!」
といつもの勢いで、申請書の突貫工事開始!
それから三日間、寝る間も削って作りましたよ〜。
そして何とか3/1締切日の朝に完成!
そのまま役場に行って提出して来ました!
無事ギリギリセーフ、でもほっとしたのも束の間、
実は今日は、長野県の庁舎で申請書の内容に関するヒアリングがあったのです。でも何とかこちらも乗り切って、ようやく今ひと息つきました!
採択されるかどうかは4月の後半に連絡が来るそうです。
それにしても、ホント書類つくりって大変です~。トホホ・・・
ところで皆さん、今回助成金として申請した金額いくらだと思います?
ナント○百万円!(○はご想像にお任せ)
さあ、この三日間の頑張りが、えんじょるのにとって、
運命の分かれ道になるのか⁉︎
コーチ引退しました🏈
本日は、えんじょるのと全く関係ないご報告です。
この度、私は立教大学アメリカンフットボール部のコーチを引退いたしました。
「えー、そんな事してたの~!」
なんて思ったアナタ!そうなのです。何を隠そう、私はスポーツ大好き人間で、32歳まで実業団アメフトに命を賭けており、引退後は、燃え尽きた灰の様に真っ白になっていましたが、39才の頃にご縁があり立教大学からお誘いを受け、それ以来立教大学アメフト部のランニングバックコーチをしてきたのです。
昨年まで8年間の長きにわたりコーチとして関わらせて頂きましたが、昨年からコロナによる移動自粛のため、私が住む長野県からホームグラウンドがある埼玉県にはいくことが出来なくなってしまい、何だかあっけない形での終了となってしまいました。残念な気持ちもありますが、人生色々な事があると思えば、まぁ仕方ありません。
私自身、スポーツを通して学んだことは計り知れず、私の価値観そのものを作り上げたと言っても過言ではありません。
そこで今日は、長年かかわって来たスポーツへの感謝と愛を込めて、私のスポーツへの想いをお伝えしたいと思います。
ここに書いているのは、以前スポーツ研究をしている方からインタビューを受けた時の私の言葉です。
(勝者の条件について)
【やっぱりスポーツは頑張った選手が勝たないと面白くない、それがなくなったらスポーツはつまらない。初めから強い奴、上手い奴が勝つのではなくて、弱くても頑張った奴が勝てることがスポーツの面白さ。逆に言えば、頑張らない選手には勝つ資格がない。ガムシャラに頑張るところに人は感動するのだし、周りもついていこうと思うし、応援したくなる。本当の勝者とは、試合に勝ったやつではなく、頑張ったやつなのだ!】
(ハートについて)
【スポーツで大切なのは最終的には根性だと思っている。私はガムシャラという言葉が凄く好き。今の学生の中で、練習中ガムシャラに死ぬ気でぶっ倒れるまで自分を追い込んだ経験がある選手は少ないと思う。根性練習のように徹底的に自分を追い込む練習を重ねると、追い込まれた時の自分の弱さや、自分の限界点を知ることができるようになる。そういう事を知るだけで、苦しさの先にある未知への恐怖がなくなる。そして、「自分は限界までやりきったのだから、これ以上は無理。今の実力で勝負するしかない。」と本番でも腹をくくって臨める。さらに、「こんなに苦しい思いを沢山してきたのに負けてたまるか!」というプライドも生まれる。これらはガムシャラに頑張った経験をしてきた人にしか持てない感覚だとおもう。】
(自信について)
【勝利したからもてる自信というものは確かに存在するが、それは一時的なもので、時間がたてばその勝利自体が多くの偶然の上にあったことに気が付く。「あの時ボールが反対に転がったら俺たちは負けていた。」「あの時相手が反則を取られたから俺たちが勝てた。」なんてざらにある。だから、勝利して得られる自信というのは、本当はその人の錯覚にすぎず、次なる勝負においてはだれも勝つ保障なんてない。だから「前回勝った」という自信は、現実的には何の役にも立たない。
しかし、勝敗とは別に、勝利を目指して必死にやったことから得られる自信は絶対にある。「本気でやっても勝てなかった。」それは本気で挑戦した者だから言える言葉。私も必死に頑張っていたときは、ただの挑戦者の一人だった。勝った経験もなく、ましてや勝てる保証なんてなかった。
自信なんて勝ったから持てるのではなくて、ガムシャラに頑張って、少しずつ実力がついていけば自然と内側から湧いてくるものだ。】
いや~、その通り!って思ったら、自分で言った事だから当たり前でした。
それにしても、「根性、ガムシャラ、死ぬ気、本気、感動・・・」って、まさに昭和の体育会系そのものですね(笑)
と言う訳で、本日はおやじフットボールコーチ引退記念の熱いメッセージでした。
最後に私からのお勧めフットボール映画のご紹介。お時間があればぜひご覧ください!
絶望の中に見えてくるもの
私は普段ほとんどテレビを見ないのですが、昨日たまたま目に入った番組で、ある日本人の冒険家の特集を見ました。
その冒険家は、まだ30歳そこそこなのですが、数年前に絶望して死にたいと思った時に、自分の死に場所として頭に浮かんだのが砂漠で、そのまま死に場所を求めてエジプトに行ったことが、冒険人生の始まりだったそうです。
私がテレビで見たのはその場面だけ。
でもたったそれだけで、彼のその気持ち何だかよくわかりました。
人は死にたいと思うような辛いことがあると絶望的な気持ちになります。
こんな時は夢も希望も持てないし、自分が生きてきた過去さえも価値がないもののように感じてしまいます。
なぜなら、今自分がどん底状態になってしまったのは、今までの生き方が原因のように思えてしまうからです。そして、財産、学歴、権力、地位、家庭、友人などの自分が人生で支えにしてきた大切なものがガラガラと崩れて無価値になってしまうのです。
実は私も同じような経験があります。
3、4年前は、まさに・・・人生のどん底でした。
今の元気な私からは想像もつかないほど。
どうして私が元気を取り戻せたか?
それは、私はこの絶望という暗い感情の中に潜んでいる「良い一面」によって這い上がることができたからです。
絶望の良い一面とはなんだと思いますか?
それは「自分がしがみついてきたものから解放される」という事です。
先ほどの冒険家を例にとると、普通だと、急に会社を辞めてエジプトに行くなんて失うものが多すぎてできません。これって、自分が積み上げてきたものを捨てるということですから。でも彼は捨てた。どうしてそんなことが出来たのかと言うと、それは絶望したからです。
テレビの話の中では、彼は恵まれた環境で育ち、相当高い学歴もあり、立派な会社員として働いていたそうですが、それらのことが絶望の中で全て無意味なものになってしまった。その結果、物事の価値が全てゼロにリセットされてフラットな心の状態で世の中を見ることが出来た。そんな状態で彼が心の底から望んだことが「砂漠に行くこと」だったのでしょう。
絶望的な状態だからこそ、心の願いが見えてくる。
私も3年前、まだ人生のどん底から這い上がれないでいた時、唯一やってみたいと思えたことが「えんじょるの」を作る事でした。
「これさえ出来ればあとは何もいらない」
そんな想いで一歩を踏み出したことを今も覚えています。
自分でも無謀なチャレンジであることは十分わかっていましたが、それでもこの3年間夢中で取り組むことができました。例え辛い時でも「えんじょるの」の課題に取り組んでいれば、嫌なことも忘れることができました。
だから「えんじょるの」は、私の心の願いだったのです。
絶望が気づかせてくれた心の願い。
人生ってつくづく不思議です・・・
2月の動画送付状
また今月も作りましたよ。
動画送付状〜
職場のケアマネ3人で撮影したYouTube動画です。
今月の動画の内容は、
「音声入力の凄さを実演」
です。日頃、記録業務に追われている人は必見!コチラからどうぞ↓↓↓
先月の動画送付状はコチラ↓↓↓
恐怖心の原因は「知らない事」⁉︎
人は誰でも、成長する過程で様々な困難にぶつかったり、自分の力では乗り越えられない壁を経験して「自分の限界」を学んでいきます。
そこで今日は、私が19歳の頃、生まれて初めて学んだ「体力の限界」の話をしますね。
それは防衛大学校の訓練の一環で行われるカッター訓練でした。
カッターと言うのは別名「短艇」(たんてい)と言って、左右の舷に5人ずつ合計10人で漕いで進む手漕ぎボートです。当時のカッター訓練の様子(写真左列前から3人目が私)
毎年5月には近くの海で校内カッターレースが行われ、宿舎の中隊(約100名くらいのグループ)ごとに一艇ずつ、合計16艇が出場し優勝を争う競技会があります。
そして2年生は全員このカッター要員となり、レースに勝つために約1ヵ月間地獄の訓練をするのです。訓練の指導者は、4年生。
ちなみに防衛大学校は、上下関係が非常に厳しく、当時4年生は神様、3年生は人間、2年生は猿、1年生はゴミなどと揶揄されてました。下級生を指揮する4年生時の私
さてこの訓練、一体どんな訓練かと言うと…簡単に言えば「しごき」。早朝、昼休み、夜に集合させられて、とにかく、走る、筋トレ、走る、筋トレの繰り返し。(ちなみに全寮制なので逃げられません😅)
そして毎日夕方は海に出て、漕いで漕いで、漕ぎまくる。櫂(かい)と呼ばれるオールを持つ手の皮はズルムケ血だらけ、カッターの座席にこすれてお尻の皮もズルムケ血だらけ。それでも漕ぐ!
毎日悲鳴のような叫び声をあげながら体がもう1歩も動けなくなる状況まで連日のように追い込んだ1ヵ月間。そんな過酷な訓練で、私は人生で初めて自分の体力の限界と言うものを学びました。
ところで皆さん、人は体力が限界に近づくと体にどんな現象が起きるか知ってますか?
まず、思考が停止します。頭の中は真っ白になって発する言葉も「あ゛〜、あ゛〜」と動物の鳴き声の様になるんです。そして同時に恐怖に襲われるのです。それは自分が経験したことのない領域に足を踏み入れることへの恐怖、「もしかするとこれ以上追い込んだら自分は死んでしまうのかも」という様な本能的な恐怖が襲ってくるのです。
そんな訓練を1ヶ月間毎日やるんです。
・・・えげつないでしょ。
でも面白いことに、毎日限界まで追い込んでると、次第に変化が起きてくるのです。
それはどういう変化かというと、限界の状態に慣れてくるのです。
限界の状態に慣れるって・・・???ちょっと異常な感じがしますが。でも、人間ってすごいですよ〜、どんな状況にも適応できるようになっているのですから。
このように限界の状態に慣れてきた次はどうなるかというと、例え体が極限状態にあっても少しずつ思考が働く様になるのです。
そうすると体力的な辛さがピークに達した時に、「あ、俺もうすぐ限界点に来る」って冷静に理解できる様になるんですよ。面白いでしょー!(^^)!
えっ?そんなことが分かるようになったって、人生では何の役にも立たないって?
それが立つのですよ~。一つだけいい事があるのです。
それは、
死ぬことへの恐怖が減るのです!
どういう事かというと、「これ以上やったら死んじゃう」というデッドラインが意識できるようになるので、逆にそこまで到達していなければ「まだ大丈夫」と安心できるようになるのです。しかもそのデッドラインというのは、はっきり言ってかなりハイレベル。つまり、自分の意志でどんなに体力的に追い込んでも、とてもデッドラインまでは届かないという事が経験として分かるので、それだけで「まだ大丈夫、辛いけど俺は死なない」って安心できるのです。
話は変わりますが、よく臨死体験をして死後の世界を垣間見てきた人は、その後死を恐れなくなるといいます。臨死状態に陥った人は、その間、安らぎや開放感を覚えたり、強烈な光を感じたりするようですが、いずれも不快な現象ではありません。そのため、「死は、ただ恐ろしいものではないのかも」と言う安心感が芽生えるからだそうです。
このように、「死後の世界を知る」事も、「体力のデッドラインを知る」事も、どちらも「知る」事で未知への恐怖心が無くなっていますよね。
そう考えると、人々の心の中の恐怖の原因というのは、自分で勝手に作り上げた恐怖心なのかも知れません。
知れば安心!簡単な事ですね。
今日はそんな関係ない話でした〜。
さて、レースが終わった後は、何が何だかわからずに大泣きしてた事を覚えています(笑)懐かしい若かりし日の思い出^_^
私の宝物、お見せします
私の部屋のタンスの上に飾ってある、とても庶民の家には似つかわしくないお皿。その名も、
「眠れる森の美女」
ドイツのマイセン焼き。1974年の作品です。この素敵な図柄見てください。
これは、絵本「森のお買いもの」の著者である、森広とえ子さん(95才)から去年頂いたお皿です。
https://www.amazon.co.jp/dp/B083THZSGL
ナントとえ子さん、若い頃はドイツに住んでいたそうな。その時一目惚れして買ったお皿なんですって。
昨年、絵本の共同出版記念にプレゼントして下さいました。「私もあと何年生きられるかわからないから」って。
とえ子さん、大切に飾らせていただきます♪
今日は、私の大切な宝物のご紹介でした。
ザ・えんじょるの構想 発表!
皆さん、見てください。この絵。
これは「えんじょるの」の近未来構想。
この絵の様に、えんじょるののマッチングシステムを使えば、高齢者の生活に必要なサポート全てを地域の助け合いだけでまかなえちゃうんですよ。
えっ〜!ごいす〜!
それって、全国の自治体が喉から手が出るほど欲しがっている奴じゃん〜!
って思ったあなた!その通りです。
何しろ税金使わずに、地域の課題が解決できちゃうんですから!
おまけに、この仕組みを世の中に広げると膨大な社会コストを削減できるというメリットもあります。
例えば、高齢者の免許返納率アップに伴う交通事故の減少、高齢者の食生活改善やフレイル予防で健康増進することによる医療費の減少、介護保険の生活援助が不要になることによる介護サービス費の削減など!
更には、住民同士の助け合いも促進されて、世代を超えた繋がりが生まれる!これはまさに、全国の自治体が躍起になって力を入れている地域包括ケアシステムの地域づくり。
さぁ、この夢のようなプロジェクト、参加者募集してますよ〜^_^
今日で3年経ちました
3年前の2018年2月18日の「うおづビジネスプランコンテスト」からスタートした「えんじょるの」
あの日、
「3年間全力で走ったらどこまで行けるかな?」
そんな想いで、3年後の今日2021年2月17日を目標にチャレンジしてきました。
その結果、3年前はアイデアだけだったものが、現在はマッチングシステム・特許・協力企業が揃い、いよいよ「本当のビジネス」にチャレンジするスタートラインに立つことに。
思い返せば本当に中身の濃い3年間でした・・・なんて思い返し始めるとキリがないので止めますが(笑)
そして今日は私の48歳の誕生日。
48歳は兄が亡くなった年齢。
そして母が若年性アルツハイマー病になった年齢。
だから3年前、どうしても私はチャレンジしたかった。いや、しなくてはならなかったのです。
沢山の心残りを抱えて亡くなった2人の名誉のために。そしてもし自分も同じ運命だとしたら、残された期間はあと3年…「チャレンジするなら今しかない!」そう思って始めたのでした。
そうやって3年間、ひたすら全力で走り続けてきた結果、今は大勢の応援してくれる仲間ができました。そしてこの仲間たちと共に、本格的に挑戦する準備も整いました。そして天国の2人もきっと応援してくれています。
「えんじょるの」第二章のスタート!
今後ともよろしくお願いします。
募集チラシを作ってみました
昨年クラウドファンディングで皆様から頂いた資金。目的は、地域の高齢者に配るチラシの制作とテレビCMを流して利用者を増やすこと。
でもチラシ制作はいまだに実行できていません。何故なら、まだ正式に「えんじょるの」を採用してくれる社会福祉協議会が決まらないからです。それでも、
「うちがやります!」
と言ってくれる社会福祉協議会が現れた時すぐ動ける様に準備だけはしておこうと思い、先日、地域の高齢者に配る為のチラシをデザインしてみました。
それがこちら。
自分で絵も描きました。
ホントはデザイナーにお願いして、もっとステキなチラシ作れたらいいと自分でも思ってるんですがねぇ…どうですか・・・?
もしこれをみて、
「私がもっとイイの作ってあげるよ」
って言う方がいたら、是非ご連絡くださいね〜(^^)