えんじょるの

現役ケアマネジャーが現場目線で考えた、買い物難民問題解決を目指すITシステム「えんじょるの」と高齢化社会の話をします!

日本一になった話

前回の私のハチャメチャ人生ネタ、ブログ閲覧数の新記録を更新したので、私はうれしくてテンションがハイになっております(笑)

でも「えんじょるの」ブログなのに、関係ないネタのほうが人気が出てるので、悲しくて時々テンション下がってます(泣)

でもせっかくなので、もう少しだけハチャメチャ人生ネタ続けたいと思います。

今回は私が入部した実業団アメフト部「スカイラークス」に起きたドラマチックな話をしたいと思います。「えんじょるの」ファンの皆さま、申し訳ありませんが、もう少しだけ私のわがままにお付き合いください。

 

1997年4月、私は運よく実業団アメフト部「スカイラークス」に採用して頂き、アメフト選手として生活を始めることになりました。幸せなことに正社員だったので、もう夜な夜な醤油をなめて飢えをしのぐこともなくなりました(笑)

当時スカイラークスは2部から1部リーグに上がったばかりの弱小チーム。入部してくる選手は、大学時代無名の選手が多く、強豪チームと比べるとどこかパッとしない感じのチームでした。そんな私も例外ではなく、2部リーグ出身の無名選手。

当初私は3年間アメフトをしたら引退するつもりでいました。

元々入部した動機も「アメフト選手として雇ってもらえればラッキー」という消極的なものでしたので、正直言って「チームが勝とうが負けようが自分の将来には関係ない」そんないいかげんな気持ちを心の中に抱えながら練習も試合もこなしていたのです。

そして計画通り、3年目の秋のシーズンが始まる9月ころには、翌年からの進路を決めていました。私は以前から興味があった福祉業界で働こうと思い、この時既に社会福祉士という資格を取る為の学校に入学手続きを済ませていたのです。

ところが、人生とは不思議なものです。私はその年で引退する気満々だったのですが、ある人から言われたたった一言によって気持ちが180度変わり、結局はトータル9年間も選手を続けることになったのです。しかも死ぬほど本気で。

 

それは小学2年生の「ひろ君」とそのお母さんとの出会いが始まりでした。

ひろ君は「スカイラークス」の大ファン。いつも試合には必ずお母さんと一緒に応援に来てくれていました。

ある試合の日のこと。

その日、スカイラークスは強豪フロンティアーズにコテンパにやられて無残な結果で試合を終えました。私はロッカーに引き上げる前にいつも大声で応援してくれているひろ君とお母さんに一言お礼を言おうと思い、観客席の近くまで走って行ったのです。もうすぐ引退だから最後にけじめをつけたいという想いもありました。そして私はフェンス越しにこう言いました。

「いつも、応援してくれてありがとうございます。せっかく応援してくれてるのに負けてばかりですみません。」

そしたらお母さんからこんな返事が返ってきたのです。

「スカイラークスのことはすごく応援しています。この子は多動性障害という病気があって、学校の授業では10分でさえじっと席に座っていられないのですが、スカイラークスの試合だけは最後までわき目も振らずに応援できるんですよ。それくらいこのチームが大好きなんです。だからこのチームが勝ってくれることがこの子にとって「希望」なんです。」

 

私はその言葉を聞いた時、頭を殴られた気がしました。

 

何故なら、ひろ君がスカイラークスが勝つことを信じていつも一生懸命応援してくれていたのに、当の選手である自分は「俺たちなんて強豪相手に勝てるわけない」と最初から心のどこかであきらめて練習も試合も中途半端な気持ちでやっていたからです。

 

そしてロッカールームに引き上げた後、私は本当に自分が情けなく感じてしまい、涙があふれて止まらなくなってしまいました。

「俺は今まで何てひどい事をしてきたんだろう。自分の人生のことしか考えずに、ずっとこの子の希望を裏切ってきたなんて。俺、最低のスポーツ選手だわ・・・」

 

そしてその時、私は心の中にある覚悟を決めたのです。

「このまま辞めたら俺は一生後悔する。ひろ君の為にもう一度本気でやってみよう。」

 

そうして私は、引退する予定も翌年の学校への入学も全てキャンセルし、ひろ君の為に人生をかけて自分がやれる限りチャレンジすることにしたのです。

翌日から練習への取り組み方もガラリと変えました。ひろ君の為に日本一を目指して挑戦することを自分の心に誓い、練習では一切手を抜くことをやめたのです。ウエイトトレーニングでは足腰が立たなくなるまで徹底的に追い込み、グランドでは全てのメニューで100%を出し切るようにしました。走っている途中でグランドの隅で吐いては再び練習に戻ったり、練習直後に全身けいれんして救急病院で点滴を受けることもありました。ただ、ひろ君の信頼に応えたいという想いだけで毎回本気で練習する様になったのです。

 

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ひろ君と私

しかしアメフトはチームスポーツです。自分一人が頑張ったからと言って急にチームが強くなる訳ではありません。相変わらずチームは負け続き。「スカイラークス」が本当に強いチームになる為には、まだまだ沢山のハード面、ソフト面での要素が不足していたのです。

しかし無いものは仕方がありません。それでも私は「やるしかない」と腹を決めてひたすら頑張っていたのでした。

 

しかし、人生には不思議な事があるものです。そうやって自分なりに努力を始めて2年目のシーズンオフの事でした。「スカイラークス」に信じられない出来事が起きたのです。

なんと強豪オンワードオークスとスカイラークスが合併する事になったのです。そのことはスポンサー企業側からある日突然発表されました。選手達は皆唖然・・・

「二つのチームが合併するなんて聞いた事がない」「一体どうなるんだろう」

選手全員がそんな不安を抱える中、新しいチーム「オンワードスカイラークス」が誕生したのでした。

 

合併にまつわる苦労話やエピソードは山ほどあるのでここでは割愛しますが、結論から言うとこの合併はスカイラークスにとって良い結果をもたらしました。

 

1番良かった事は、一気に選手層が厚くなった事です。さらに合併後は両チームの選手に加えて、他チームから移籍してきた選手や、アメリカから来たプロ選手、そして大相撲を引退したばかりの元横綱若乃花をチームに迎え入れるなどして、チームは一気に戦力アップしました。これにより「スカイラークス」はまたたく間に強豪の仲間入りをすることになったのです。


そんな信じられないような幸運もあり、合併から3年後の2003年12月13日の東京ドーム、3万人の大観衆が見守るアメフト社会人No1を決める大舞台で「オンワードスカイラークス」は強豪シルバースターを破り念願の社会人日本一になったのでした。

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 もちろん観客席には、大喜びするひろ君とお母さんの姿もありました。ひろ君がお猿さんみたいにフェンスにしがみついて叫びながら喜んでくれました。

そしてその試合のMVPとして表彰されたのは、なんと、ワ・タ・シ(#^^#)

今でも思い出すとドキドキしちゃいます~。

 

4年前、ロッカールームで涙が止まらなかった時から始まった自分との闘い。

色々な人から「日本一なんて無理だよ」と言われたこともありましたが、それでもめげずに、這いつくばって、ゲロ吐いて、涙を流して、また立ち上がる。そんなことを繰り返してるうちに、多くの素晴らしい仲間との出会いがあり、色んな幸運やチャンスにも巡り合い、その結果チームは頂点にたどり着くことが出来ました。

以上が私のハチャメチャアメフト人生の思い出でした。

 

そしてこちらはその時の試合↓↓↓。

映像開始10分からの攻撃で、気合い入れて走っている背番号34番が私ですよ!(^^)!

 

以上で4回に渡ってお送りした私のハチャメチャ人生シリーズはこれにて終了〜(^^)

でも、まだまだネタはあるので今後も小出しにしていきますね!

引き続き「えんじょるの」も宜しくお願いしま〜す!